五社のなかでも、九郎助稲荷社の創建は古く、和銅4(711)年、白狐黒狐がが天下るのを見た千葉九郎助という人の手で、元吉原の地に勧請され、廊の千束村への移転にともなって、浅草新吉原の地にふたたび勧請された。
年始の浅草七福神では弁天財が奉られている。
本宮は旧ひょうたん池(現NTT吉原局)のほとりにあり、旧吉原遊郭の水子供養の他に、震災、戦災慰霊碑が奉納されております。
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吉原神社
台東区千束3-20-2
新吉原遊廓には、玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社が祀られていた、
その後明治5年に合祀され、「吉原神社」が創建。
吉原神社の歴史は、新吉原遊廓の鎮守として、古くから崇敬されてきました。
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明暦三年(1657)の明暦の大火を契機に幕府による千束村への吉原遊郭郊外移転命令が実行され、同年8月遊郭は浅草千束村(現台東区千束)に移転したこれを「新吉原」とよび移転前の遊郭を「元吉原」と言う。
新吉原は江戸で有数の遊興地として繁栄を極め、華麗な江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだが、昭和33年売春防止法の成立により廃止された。
その名残を記す碑は、昭和35年地域雄志によって建てられたもので、碑文は国立女子大学教授で俳人、古川柳研究家の山路閑古鳥による。
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花 吉原名残碑
台東区千束3-22-3 吉原遊郭は、江戸における唯一幕府公認の遊里で、元和3年(1617)葦屋町東隣(現中央区日本橋人形町付近)に開設したことに始まる。
この碑は昭和33年売春禁止法により吉原終焉の後に地域住民により建立されたという。
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関東大震災受難者観音像
千束地区は江戸時代湿地が多く昭和34年まで「ひょうたん池(花園池・弁天池)」があった、大震災時に多くの遊女が猛火から水を求め轢死した地であった。
ひょうたん池は戦後埋め立てられNTT吉原局となった。
今日の残るは吉原の栄華と遊女供養の碑と僅かに半畳程度残るひょうたん池だけになった。
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