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二本榎保存之碑
七社神社鳥居横にある榎は大正年間、東京市電の架線工事を行うにあたり、下記の一里塚とこの二本榎を伐採するにあたり渋沢栄一、東京市長、滝野川町長ほか地元住民らによる保存運動が起こり大正5年保存に至った
碑文は公爵 徳川家達によるもの
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西ヶ原一里塚
中央分離帯上に残る石碑は、将軍家が日光東照宮に詣でるための日光御成道に置かれた一里塚です。
慶長九年(1604)幕府は街道を整理して、一里毎に榎を植えて一里塚を置き、この一里塚は日本橋から二里目の一里塚。
ちなみに、塚の横にある碑は、この偉業を後世に残すため大正5年江戸城虎ノ門の巨石お持ちいて作られた碑である。
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七社神社
北区西ケ原2-11-1

9月23日
滝野川警察署横の鳥居をくぐり参道を進むと七社神社があります。
伊邪那岐命. 伊邪那美命, 天児屋根命、 伊斯許理度賣命、市寸島比賣命、仲哀天皇、
応神天皇の七人の神をを奉ったことから七社神社という。
明治時代以前は旧古河庭園内に祀られてたが、明治初年に一本杉神明宮の現在地に遷座した、 街道より一歩中に入った所にある落ち着いた神社です。
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末社
境内には三峰神社、菅原神社などの末社や明治期の碑があります。

明治三七年の戦役碑
日露戦争の戦死者を慰霊した記念碑
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御神木
七社神社はかつて 「一本杉神明宮」と呼ばれてきした。その由縁は樹齢千年以上という杉の神木からきていますが、先代は立ち枯れの為、明治44年に高さ3〜4mを残し伐採、その前には社が奉られ、2代目が境内の中央にそびえ立っています。

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東京高等蚕糸学校発祥之地
北区西ヶ原2-3-6
明治19年10月現帝国ホテルにあった農商務省蚕病試験場が移転、大正3年3月東京高等蚕糸学校となり昭和15年9月小金井に移転するまで現国立印刷局東京病院の地にあった。
明治期蚕糸は日本を代表する輸出産物であった為、政府はその振興のための人材育成施設を構築した。
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