横網公園

大正十一年(1922)、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買入し公園の造成中、関東大震災が発生多数避難者が集まりましたが、巨大な炎の竜巻が発生し多くの焼死者が発生しました。

東京都慰霊堂
設計者:伊東忠太
竣工:昭和5年9月

震災後帝都復興事業の一環として昭和五年九月一日現公園に慰霊堂と復興記念館を工場を公募されたデザインの中から選出した。
震災慰霊堂内には、震災による遭難死者58,000人の遺骨を納めるために昭和5年に建てられたものですが、その後、東京大空襲(昭和20年3月10日)などによる殉難者の身元不明の遺骨も併せて安置することになり、26年に名称を東京都慰霊堂と改めました。
現在、震災、戦災あわせて、162,600体の遺骨が安置されています。

弔霊鐘と鐘堂

震災慰霊堂は、帝都復興事業の一環として設計を一般公募されたものである。
直後、震災で被災した同胞と日本人被災者の支援と慰霊を目的に中国国内で集められた義捐金の一部から、中国で鋳造された日本に送られた「冥幽鐘」

帝都復興事業の一環として建立された、復興記念館です。震災の惨禍の記録を後世に伝え、また焦土を復興させた当時の大事業を記念するために、昭和6年に帝冠併合様式で開設されました。
館内には震災の記念遺品、当時の状況を伝える絵画、写真、報道記事、図表などが展示されています。
また復興記念会館の開設にあわせ、帝都復旧のジオラマなどを開設当事の姿で展示していますまた、屋外にも焼けて形が崩れた鉄製品などが展示されています。

復興記念館
竣工」昭和6年4月
設計:伊藤忠太、佐野利器
施工:戸田組
帝冠様式風の外観

墨田区横網2-3-5

築地海軍経理学校で破壊された水雷(魚雷)

復興記念館の横には、震災後の火災で溶解した自動車,モートル、魚雷などの遺留物が野外展示されています。

【震災で熔解した発電機】
【震災で熔解した自動車】