浅野内匠頭終焉之地

港区新橋4-31付近

浅野内匠頭守が松の廊下の刃傷の当日である元禄14年3月14日、このT周辺にあった奥州一之関藩田村右京太夫の上屋敷に預けられ夕刻、庭先にて切腹した。

辞世の句は

風さそう花よりもなお我はまた 春のなごりをいかにとかせん

であり、これが現在まで芝居などで伝えられる忠臣蔵の味まりである。

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