蘭学事始の地碑

中央区明石町11

江戸時代豊前国中津藩の奥平家の中屋敷があったところ。
この地で蘭学に関する二大事業が行われたことを記念して碑が建てられている。
第―は、「解体新書』の翻訳である。
明和8年 杉田玄白、前野良沢らは千住小塚原刑場で刑死人の腑分(解剖)を行い、オランダの解剖書『タ一ヘルアナトミア』の正確さに驚嘆し、同着の翻訳を決意した。
その翌日からこの中津藩中屋敷に住んでいた前野良沢の役宅に杉田玄白、前野良沢、中川淳庵、桂川甫周らが集まり翻訳を開始し、苦心の末安永3年(1771)に『解体新書』全5巻として出版された。
この事業により西洋医学が我が国に紹介され、蘭学研究が盛んになった。
翻訳事業の苦心の様子は杉田玄白が晩年に書き残し、明治2年に福沢諭吉が『蘭学事始』として出版された。